ながいながい今年のGWも、終わりましたね…。
10連休とは言え、たっぷりの原稿を抱えてのお休みだったので、、、日中子供たちとの予定をこなしつつ、夜中に執筆というなかなかハードな連休。とはいえしっかり旅行もレストランも楽しんだので、また頑張って働かなくては。
今回の連休は、お休みできる人と、働きづめの人の二極化を特に感じた10日間でした。
仕事柄、私も主人も何の仕事もなく10連休できる環境って、たぶんしばらく来ないと思うので…個人的には、5連休×2、の方が嬉しいかも、と思ったりしたのでした。
さて、そんな私も連休中に誕生日を迎え、ついに30代最後の年となりました。
今年は何かに挑戦したい気持ちより、目の前のことにきちんと向き合い、丁寧にこなしていきながら、次のステップの準備をしたい気持ちが強いかな。
娘の小学校入学があり、これまでのようには働けない時間的事情もあるのですが、、、独立してからずーーーっと走り続けてきたので、この一年くらいは少しそのスピードを緩めて、大事なもの見つめなおすのもありかな、と。
不惑の年を目前に控え、不思議なもので30代半ばの頃のような焦りや不安というのは徐々に和らいできていて、最近は、真面目に努力していれば道は自然に拓ける、なるようになるさ、と考えられるようになりました。
そう思えるようになったのはたぶん、これまで多少なりとも忙しく働けてきたことが自信にもなったのと、本当にいつも支えてくれる家族のおかげ。特に、父の言葉が大きいかな。
私の父は一級建築士なのですが、70代になったいまも現役で働いています。元々仕事人間だったけど、本人はたぶん定年でリタイアするつもりだったはず。そこに声をかけてくれた地元企業があって、今はそこでかなり忙しくしています。
理系人間特有の理屈っぽさはありつつも、感情の起伏が穏やかで、誰にも害を加えない温厚なの父。末っ子気質で欲がないので出世タイプではありませんでしたが、面倒見がよく部下には好かれていたようです。そんな父の一面は、もちろん私が社会人になってから初めて知った事実ですが。
私と父は、振り返るとあまり会話をした記憶がなく、(そもそもお互い、あまり家にいなかったのだと思います)、父に何かを相談するというのは、私の人生の中でもほとんどない選択肢でした。一度だけ、確か高校生くらいの頃、数学の問題を聞いたことがあったけど、父からは「これとこれをこう方程式に当てはめれば解けるだろう」的な説明で、そもそもどの方程式を当てはめたらいいかもわからないレベルの文系人間とは、頭の造りが違うのだと感じた苦い思い出はあります…今となれば、父に相談するのがなんとなく恥ずかしかったんだな、と思います。
そんな父と私の関係性も、結婚を機に少しずつ変化して、私も「父親としてではない」父の人間性を少しずつ理解できるようになってきて。
そこで少し前に「父ならどう答えるだろうか」という簡単な気持ちで、仕事についての悩み相談をしてみたのですが、その答えが日に日に私のなかで重みを増してきているのです。それは、次のような言葉でした。
「今はやりたくない仕事も受けているけど、せっかくフリーランスなんだから、もっと世間に胸を張れる仕事がしたい」というような私の稚拙な悩みにたいして、父はこう言いました。
「お父さんは建築士だから、建築の世界で例えて話そう。
有名な建築家の隈研吾がいるね。彼は後世に残るすごいデザインをいくつも手掛けているけど、でも残念ながら、建築家の誰もが隈研吾になれるわけじゃないし、隈研吾が世界中の建築物をすべて作れるわけじゃない。
世の中の人間には、それぞれ必要とされる場所があって、お父さんにもぜひ、といって仕事を任せてくれる人がいる。お父さんは、そうやって自分にお願いしてくれる人を大事にして、必要とされる仕事を一生懸命やってきた。
世の中には、残念ながら他人のせいにしたがる人が多いけれど、いまの自分があるのは、すべてこれまでの自分の行いの結果なんだ。そういう仕事の仕方も、あるんじゃないかね」
私はこの答えを聞いたとき、正直落胆したのです。「それって、目的に向かって努力してないじゃない。私は、私のやりたいことのためにもっと頑張りたいの」的なことを言い返した記憶がありますが…後々、父の言葉を反芻してみると、なんと示唆に富んだ言葉なのだろうと気付かされたのです。父のような生き方の方が、むしろ困難なことにも。
10年以上、フリーライターをやってきて、「依頼された仕事を丁寧にこなすこと」の大切さは痛いほど実感しているし、それが次の仕事に繋がることもわかっている。そういう人のところに仕事は集中するから、忙しい人はいつも忙しい。30代最後になって、やっと父の言葉をすんなりと受け入れられるようになったのかもしれません。同時に、やっぱり私は父の娘だから、同じような生き方をしてしまうかもしれないな、とも。
ちなみに私、しいたけ占いの信者なのですが、牡牛座は先日の占いに「ピーターパン」的な要素が書かれていて、ぎょっとしたのです。
「子ども時代に強烈な思い出と居場所を残している」←まさにこれ。
「ここらでようやく「『あ、私もう大人なんだ!』と発見して、大人な私ならではの生活を新たに構築し始める」と。目から鱗でしたね、これ。ストンと腑に落ちた感じ。
大人は汚い、大人になんてなりたくない、私は若いうちに死にたい、と感じていた子供~青春時代(←両親、ごめんなさい…)。大人になってからの生き辛さも、私の中の幼さのせいだと責めながら生きてきたけど、ここまで言い当てられるとは。。。
昔のきれいな思い出を、いつまでも大事に持っていたい。でも、いつまでもそれだけじゃ生きてはいけないし、私は今の私の大切なものを大切にしないとね。
ということで長文になりましたが、39歳の私も、どうぞ宜しくお願いいたします。